旅行・地域

「第13回東は東、西は?の巻」

◎「大和撫子も強くなったのかしら?我が青春の賦、その5」

大使館の方が、知恵を貸してくださった「父上が戦死なさって

居られるなら父母のどちらかの実家に寄寓されたか、又は、

別居されても両家は文通されてる可能性があります、過去の

アドレスをどうぞ」私は疎遠前の住所伝えた、程なく、電話を

再度頂戴した「マリア嬢の同じ苗字の方が同町の電話簿に

掲載あり。縁戚かも知れぬ、問い合わせ乞う」と。度重なる、

大使館に心から感謝捧げた。私は日本の趣味週間の美麗な

記念切手をごっそり、彼女と私の写真を入れ縁戚ならばどうぞ

同封の手紙を回送して欲しいと英文と伊文を書いて入れた。

大使館から、ウンブリア州の地図と観光資料頂戴した。

数週間後、マリア嬢より見慣れた字の長文の便りが着いた。

大学卒業し教師になり、結婚し2人の男子に恵まれた事、前の

家の近くのマンションに住む事、母上も同居してる事が判明。

私は公務員を経て貨幣商になつた、仏、英、ギリシャ、スイス

渡航、次男は伊に数回行つたが私はまだ行かぬ事等書いた。

それ以来、今年まで過去以上の文通が交わされコケシが伊に

渡り、向こうから美術品、その他のギフトが行き交つている。

さても、私の珍しい姓名から福島県の電話番号簿で永い間

追尾し、折宅に電話下さった邦人はペルジア大学に留学されて、

先輩のマリア女史を屡々訪問し仲介の役を買った才媛だ。

(勿来→いわき市に合併で変り、数度の転居の私の℡を追い

埼玉の実家の応援で判明。伊国から国際電話くれた訳だった)

マリア女史は永年の文通で民族的偏見が無く積極的に邦人を、

招き愛護してきた、嬉しい話だ。縁はまだある、長男と交際し、

華燭の宴を教会と彼女の実家で羽織袴で式を挙げた(時間的

に、京都、奈良に行き帰途、拙宅に寄る予定が勤務の都合で)

来福は不可能だった。母似の好青年で和風の式は綺麗だつた。

最初はベローナに住んだが、今スペインに住む。大学が結ぶ

華麗な夢、このブログで書いた嫁取りで世界一幸せ者だろう。

 

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「第12回東は東、西は?の巻」

 ◎「大和撫子も強くなったのかしら?我が青春の賦、その4」

 イタリーは日本に似ている、南北に細長く温暖で四季が鮮明

 だ。髪も黒く、米もよく食べる。渡仏時 午後8時になっても、

 明るいので吃驚した。伊も、緯度の関係でほぼ同じである。

 オーストラリアでは、ワーキングホリデイ制度があり、「世界の

 歩き方」を参考にする方々も増えたが伊の制度も推薦したい。

 ペルジア大学は文化、語学、交流に興味持つ世界中の人に、

 門戸を開く、授業料も廉いしバイト住居についても懇切に対応

 してくれる、老年の米国夫婦で此処に留学された例を聞いた。

  【外国人大学と言う名の制度である】。私も生活習慣病でも

 無ければ、留学し伊美術史を学びたいものである。この外国人

 留学制度で学んだ人が日伊の架け橋にかなり活躍してる筈だ。

 「イル ドルチェ ファーレ ニエンテ」些事に拘る勿れこの

 甘美なるものを!この天衣無縫な人生の達人達、遊びが一番

 仕事はその次だ、鬱の人居ないと?人口が日本より少ない、

 仕事にあぶれる人が居ない→ソウデモナイのにこの楽天さは?

 ラテンの方々生きる、愉しむ、上手なのだろうな。小さくても

 セカンドハウスを持ち、2ケ月以上のバカンス、夏の3ケ月は

 都会は半分ガラガラになる、7ヶ月仕事し5ケ月は休む、公務

 員もローテーション組み休む訳だ、仏・伊映画でも馴染みの話

 ペルジアはエトルリア人の遺蹟が溢れる坂の多い古都だ。

  プリオン宮、アウグストウス門が目立つ、大学はメンサ(学生

 食堂)は数€でパン、サラダ、肉か魚、ワイン、コーヒーの昼食

 が可能。前号で、イタリー大使館に手紙出した事を書いた。

  数日後、電話が鳴る、家内が「大使館からよっ!」叫ぶ。

 こんなに早く返事があるとは、夢想さにしなかった。

  「伊、日の友好に永年、感謝します、コピーの資料も拝見し、

 真実である事も判りました、しかし、マリア女史の個人情報は

 洩らせない事になってます、本国に照会しましたが、現在地も

 諸法規等の規制があり、向こうからの連絡を待たれたら」との

 事です。私は「3箇所も転居したのを必死に調べてくれたのに

 躊躇して、胡乱な邦人の電話に疑問感じ出なかったお詫びを

 したいのです」無言の時が続く、解決の端緒が突然聞こえた

 のだ、神の啓示か!。

  続きます、では、又、お会いします、おやすみなさい。

 

 

  

 

 

 

 

 

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「第11回東は東、西は?の巻」

 ◎「大和撫子も強くなったのかしら?我が青春の賦、その3」

 北イタリーのペルジアと言う町がある、中田選手が一時が席を

 置いた所である 前稿でイタリーの乙女とヒョンな事から文通

 始めた事を書いた、当時は外国為替を組み海外の縁者に金を

 送る事等大変な事だった、学術関係の図書を買うとかにしか、

 外貨を送れなかった。だから外地の縁戚から手紙で依頼される

 か、勉強の本しか外国には送金は出来なかった、最近は日本も

 外貨手持ちが豊富になった、旅でも縁戚への援助もOKである。

 隔世の感がある、「イタリー狂」と云われるようになった。

  伊の事なら、何でも貪るように頭に入れた、ベルトの様なもの

 髪の毛ほどのスパゲッテイ、マカロニがある事も知った、又、

 日本の伝統的な小物を送り、向こうから絵画、絵葉書が来た。

  マリア嬢は兄と母、父は旧植民地の戦闘で戦死したと言う。

  寡婦の母が彼女をペルジア大学に入れた。私も苦労して、

 法政大法科に学ぶ、後に、私は結婚し転居し、文通途切れた。

  皆さんは、折角異国の友人と文通始めたのに何故手紙を、

 怠ったかと思うでしょうが、書くこともマンネリになり兄の様に

 なると、ギフトも手紙も平凡な起き伏しに、惰性になり勝ち。

 ただグローバルな物事では、洞察力は研ぎ澄まされるのです。

 公務員を30年以上過ごし、貨幣界に転じた、妻は其の儘仕事

 を続け私の頼りない商売の不安定な稼ぎを助けてくれた。さて

 真夏の夜、国際電話「私の名呼び、マリア氏の代理だ」と言う

 咄嗟に話出来ますと言うが英語出て来ない。彼女のアドレスが

 少し違う、新住所を告げ「手紙下さい今英語が出ぬと」云った

  その後手紙来ない折角苦労して、2箇所も転居先捜して来た

 のに不実な俺はと、後悔し「地球の歩き方」を読み東京の伊国

 大使館に手紙出した、私の無鉄砲は外国の旅と同じで唐突だ。

 永年の交際歴や最近の連絡後仔細不明「知恵お借りしたい」と

 イタリーの人柄に頼り図々しい話で汗三斗である、続きます。

 

  

 

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「第10回東は東、西は?の巻」

 ◎「大和撫子も強くなったのかしら?我が青春の賦、その2」

 “青年老い易く学成り難し”と云うが若い頃は学業も一段落し

 勤め先に妙齢の婦人がワンサと居て嬉しくてしょうがない。

  同期試験を受かった友と電話交嬢の控え室に何かと理由

 作っては行く、窓口に彼女達の対応が気に入らぬ諸々の客

 が厭味をブツケル当時は回線も少なく20Km先の町に電話

 するにも、何時間も申し込み後、順番が来ず。圧力を掛けて

 商売の円滑を図る、向こうも必死。我々新人は仕込み杖で、

 脅かされても、交換室に入れぬ覚悟で昼夜、緊張したものだ。

 「外国の友と文通してる」山の中の局の頬の赤い娘が云った、

 「仕事上語学必要、知らぬで済まぬ」“良き管理者”の好例だ 

 「貴方も文通して見ない」と云う「Give me Chocolate」なん

 て嫌だ「それは誤解だっぺょ」どこの国良いと言う。米国は父

 の仇(古いが)厭だ伊、独は味方だったが、独は肌合わぬし、

 伊だ!映画「苦い米」「自転車泥棒」見たし貧しいのが良い。

 50年来、途中で数年途切れたが、伊のM嬢を無二の友として

 文通して来た9年前ルルド巡礼でブルターニュのA・Gに遇い

 もう一人加わった。今回タイトルの意味はピンカートンに振ら

 れ、東西の男女はうまく行かぬ、「サヨナラ」の映画でも日米

 のカップルの悲劇が描かれる、この蒙を晴らす意味でも拙い私

 の独断を。諺に言う「日本のお嬢さんと結ばれ、西洋館に住み

 中華料理食べ暮らすのが世界一の幸せ者だ」と言うのだが?。

 

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「第10回東は東、西は?の巻」

 ◎ 「大和撫子も強くなったかしら?我が青春の賦、その1。」

 公務員生活、職場結婚出来た、糟糠の妻にも巡り会い、誠に

 奇縁と、至福の人生を送れた(妻がパソコンの後で私の文を、

 覗いているからとゴマ摺っている訳では無い)私は元来蒲柳の

 性質で、子供の頃から、特に大病した訳でないが、扁桃腺を、

 腫らしてみたり、国民学校の体育は魔の時間であつた。

  雨になると文化映画、カタカタ物凄く音高い映写機を担任の

 若い教師悪戦苦闘しながら疵だらけの「稲の一生」なんて云う

 雨降り画面モノクロ映画を映した。ほかの生徒は晴れてるのに

 なんでいつも雨降りなんだ、呪詛と苦情の合唱したが、私は、

 農家は大変だなー、米一粒にもこんなに苦労するんだ!と、

 感心して見た、まさか疎開し(父が3月10日の空襲で爆死し)

 父の郷で伯父の世話になり痩せた馬の鼻取りしながら泥田を

 耕す、蛭に足吸われたり目まで泥が跳ねガビガビになるとは、

 夢にも思わなかった。話題が逸れた、浅草から未知の惑星然

 の福島に多感な10代を、父が「酷い目にあったよ!」と運強く

 徴用工で中嶋航空機の焼け址から奇跡の帰還を夢想したが、

 戻らなかった。公務員になると倫理感も強く“善良なる管理者

 の注意を持って”(この意味は職場の主備品も自分の物より、

 大切に扱うとでも訳すか)戦後は停電も頻繁で、設備も工夫し

 て大事に扱った。汚職、汚吏など居ず必死で仕事した。

  車、自転車も公用のみ、友人とロシア民謡唄い、握り飯だけ

 持ち、集団デートした、職場で恋の花咲き怖いもの無しの、

 空腹の青年男女が国家未来を論じ戦後復興を渇望した。 

 

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