「第21回、武士の日記と、家計簿。その暮らしぶりを探るの巻」
暫く、御無沙汰した皆様お元気でお過ごしと拝します。確定申告、貨幣の商売
決算期、そして上京と目まぐるしく動き廻ったのでブログの方を気になるが割愛し
た、最近やっと、落ち着いて本を読む時間も出来たが百年に一度の不況に胸が
痛みます。私も終戦前に疎開やら父の空襲による爆死の苦渋の時期と飢餓の
洗礼を受け筆舌に表わせぬ幼年期を堪えた身からすると、不死鳥のように蘇生
した日本の粘り腰、絶望してない。昨今、見た何十年前の映画「風と共に去りぬ」
の主人公のように明日を信じ励めば、必ず旧倍の叡智で挽回出来る筈だ。
閑話休題。最近“元禄御畳奉行の日記”と“武士の家計簿”を興味を持って読
んだ。Gooブログに書いた勝麟太郎の赤貧洗うが如き生活(小普請組の旗本)か
ら見ると、元禄の尾張藩の朝日文左衛門重章は、元禄期でしかも御三家で安泰
であった、彼は<奉行>と名は聞こえ良い。知行百石余だが、響き良い絢爛たる
時代の生まれだ。家祖は甲州の農夫、信玄の足軽で戦死、その子は槍で活躍し
主の朝日永寿から朝日姓を受けるが武田滅亡後家康は遺臣達を重寵。徳川の
老臣平岩親吉に仕え、陪臣(またもの)ながら、慶長、大阪の陣で加増を受けた。
重章は九日毎に登城、気楽な勤務の身分、彼は18歳から26年間も日記を書く。
綱吉の生類憐れみの令に遭うが殺生し安逸な生活。当時、元禄小判の価値では
大工が月に一両二分(六百文)日給は二百文。最低生活者は日に二十五文あれ
ばどうやら暮らしていけた。商人が台頭はじめつつあり“銀五百貫(五十万匁)は
五十匁で一両だから、従って一万両となるその金持ちを”分限者と呼び羨んだ。
現在価値8600万円程だ。“此の倍の一千貫以上を持つ者”を長者と呼んだ。
重章は友人と「禁制の鰡を二匹買い煮て食べる一匹四十文なり」元禄6年12月。
江戸では雁や鶏を食えば極刑である。尾張藩も鷹匠で馘首になるもの続出。
さて吉宗の時代、「享保の改革」で改鋳された元文小判の価値は米価で現在
価で五万円(江戸初期10万円、中期は五万円幕末五~四千円、インフレで下落
する一両の価値)塗炭の苦しみが武家・庶民を襲った。
もう一冊の本は“武家の家計簿”これは加賀藩御算用者の資料である。この主
の猪山家も菊池右衛門と言う加賀藩の千石取りの旗本に仕えた陪臣であった。
菊池家では給人であるから知行を分け与えられたが精々三十石か五十石だ。
しかし筆と算盤に精通し、加賀藩に五代目が直参になる。江戸時代は武家社会
は算術を軽蔑していたから珍重されはじめた。18世紀は砲兵、工兵が弾道計算
や測量の数学的素養が求められてきて貴族社会の騎士道は平民に替られ始め
た、ナポレオンが砲兵出で革命を起こし近代化を開いたのが一例だ。
猪山家で禄高百石でも借金するようだ。債権者は町人、藩役所、武士(親類)
武士(家中)知行所。親戚、同僚でも年18%の利子を取られたそう。元禄時代は
両替屋が銀行の役目をした、預金の利子は月六厘、銀約三十貫(五百両)あると
利子が年に三十六両で四人家族で食っていけた。【武士は喰わねど高楊枝】
天保13年~明治12年迄書かれた、大抵の武士は丼勘定が殆ど、猪山本は
希少価値がある由。武士の俸禄は大別し、①知行(所領を与えられる)②蔵米で
(米を支給される)③扶持(米の支給だが日給制)。武士の悪口“このサンピン”
と言うのは尤も薄給の中小姓が約三両一人扶持だったからだろう。十三石二人
扶持の下級武士の家に生まれた福沢諭吉の【旧藩情】を読むと“麦、粟を買い、
粥や団子にしてその日を過ごす”とある。慶安軍役表に依れば武士は平時でも、
所定の兵員を常時抱えている、三百石の武士は、兵員7人が必要だった。
この武士の例では三百石取りの収入は(4公6民なので)実収は百二十石だ、
一石=一両として金銭で百二十両。支出が主人・家来の食費が四十五両、家来
の給金が三十八両、諸雑費が四十両、主人一家の衣料代が三十両で赤字が、
なんと三十三両となる。羽織、袴。妻や家人もそれぞれ体裁を考える、奉公人は
法被、半纏でも良いが、登城時は正式に、槍持、中間は家紋入りの格好をする。
二百石の武士の正式な出陣の場合は馬の口取り、主は馬に乗り、侍、小荷駄
甲冑持ちの図を見たことがある、尤も、金が無いので幕政の中頃は槍持ちと草履
取りの二、三人程で誤魔化したらしい、武士とは体面を重んじ大変だったらしい。
江戸時代の武士の俸給は現在の職務内容から給料が払われる仕組みから言う
と隠居を申し出る迄“昔、先祖がコレコレの勲功を建てた”で支払われて家老、藩重役
になると、家柄で無能でも家督を継ぎ、お目見えが済めば生涯平穏、安泰だった。
江戸時代は国民総生産の25~50%が武士の取り分であったそうだが、市農工
商の身分社会で余裕のあったのは冨商、冨農で、江戸や東北でも観光旅行に行く
と、新潟・福島で豪農の館が残り“♪殿さまには及びもつかぬが、せめて○○様に
なりたい”と小作人の恨み節が聞かれる。昨年旅した会津の旧家は2県に跨った豪
農であり東北の小藩の財政の面倒をみたそう。ピンからキリ迄あるが今夜は、武士
の哀しい生活の一端を垣間見た次第、では、又、おめにかかります。
お休みなさい。
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