「第20回薩摩の武士の一典型、西郷の死生感に惚れるの巻」
ここ、2ケ月、ブログに幕末と、維新の研究に殆どの時間を費やした。76歳
の私の生きざまは、何と、能天気なんだと、自戒した。夢の中迄、西郷や大久保
が出てくるのには参った。その参考文献は畏敬する司馬遼太郎氏の巨星西郷を
描いたもので皆さんご存じの本。「とぶが如く」(原書のとぶの漢字がパソコンに無い
ので“とぶ”とした、ワープロは単漢字多く入っていて助かるがパソコンは語彙が少なく
不勉強で漢字の出し方がイマイチである)さて維新の最後の薩・長・土・肥の貴顕
の勢力争いの場に私のブログが進みつつあるが薩摩の藩の若者群像が格調高く
描かれている。なんでも最近の卓見では万人を導く作家では江戸は頼山陽、明治
は徳富蘇峰、昭和は司馬氏だそうで私も納得最初は難解で再々読して、やっと
理解出来る本多く「空海の風景」大難物。薩摩の国は高山彦九郎に言わせると
日本の国家の中にもう一国の独立国があると嘆かせた位、相互監視の厳しい国
だそうだ。江戸から入った幕府隠密悉く殺され“薩摩飛脚”の言葉で畏怖された。
薩摩全志士が清廉潔白であることが清々しい。最近の政治家達に爪の垢でも
飲ませたい。此処で「郷中教育」が知られている。西郷、大久保、松方正義、森有
礼、寺島宗則、大山巌が知られる。大久保は家族が多く食事時になると西郷宅で
ちゃっかり御馳走になったそう。慶長年間、島津義弘が子弟相互教育制度として
この遣り方考案した、年少を稚児(14歳位)を年長者のニセ(24歳頃迄)が教師
役で厳しく指導した。オセンシと言う言葉が司馬氏のこの本で出る、御先師?先輩
に対する敬語か。薩摩のニセは午前は儒学、四書五経を教え午後は鍛練をする。
西郷は少年期。喧嘩の仲裁中に、相手の郷中の子に右腕内側の神経を斬られ
数日高熱で魘され蘇生するが剣の修行断念、中村半次郎が終世西郷を護った。
関西で深更になると自宅出て、先輩、後輩が、番小屋に泊まり込みデベートしたり
鍛練や夜警をする風習があった。司馬氏の本に“義ヲ(嘘、言訳、理屈)イウナ”
“ヨワモノ苛めスナ”(弱者を苛めるな)。剣道で“チェスト!”の気合も薩摩で有名。
刀は抜くべからざるもの無益な殺生禁ずるが危急の際、示現流の必殺剣振るう
この薩藩の志士が天下騒乱で(郷士、城下士達が)暴れ維新の変革を担った。
戊辰の乱で薩藩は勇猛で他藩圧し、陸軍・警察を掌中にしたが汚吏乱臣少なく
私は感服。征韓論で薩藩が割れ、あの西南の役で西郷が非業の最期を遂げたが
悲しくも郷中の仲間の縁が最後迄軋轢の種になった事が惜しい。明治帝は西郷の
乱臣賊子の汚名に心痛められ明治22年、憲法発布の大赦で赦し正三位を与え
られた、「ウドサー」「セゴドン」の愛称で西郷今日この地で人々の胸に生きている。
秀吉、西郷は“人たらし”の典型で、拠る人々を磁力で吸収した。金銭に恬淡で、
旧幕藩の屋敷を参議クラスは廉価で政府から与えられたが、豪勢に建て直した例
が圧倒的に多い、爵位を授かり綺羅を飾り、自らを“御前様”と呼ばせ書生群に
履物を揃えさせたり、土下座させて、悦に入る輩が多かった、尤も、暗殺が多く、
旧幕の不満分子が狙う例が夥しく当時は、用心棒を兼ね身辺警護に屈強な郷里
の後輩を集めたものだ。木戸がある日、散髪に仏人の店に入った。帰途人混み
を縫う際に大小差し後ろから駆け足で来る丁髷の壮士や、馬上の庶民(維新前
は武士以外御法度)の威勢に狼狽したり、刀剣禁止令の火急な必要性を痛感
したそうで、気もそぞろ、帰宅して妻に「書生を御持ちなさいまし」と言われた由。
桂小五郎で名を馳せ抜騒乱の巷を平気で生き抜いた豪傑も次第に気弱になった
ようである。西郷は前述の豪邸を直さぬから雨漏りし、客が来ると、庭で傘さして
応対したり一張羅の着物を洗うと褌姿で乾く迄縁側でごろ寝したらしい。求職者
が郷里から訪問すると、桐野が玄関脇で追い払うがなかには、運良く逢える者も
いた。一例で。ぼろぼろの風体で来た男が留学志望を言う。薩人は寡黙を尊ぶ、
ぼそっと、「鉄砲の研究をしたい」と言う。外国から優れた銃器が来る時世だ、
しかし、戊辰の乱でその腕は薩藩一で名を馳せた「村田」は西郷も無視出来ず、
自分の扶持を削り研究する姿に感銘渡欧させた。彼の地で競技会があり、的
に当てる弾の数で何時も一位を独占した。後年、村田銃を作り恩に報いる。
もう一人鉄道を研究したいと郷里から若者が来た、「大久保に言え」無視され
たのでセイゴドンにと言う。おまえは「海軍に行け」英国にやる。後の東郷である。
西郷は、他藩に人を押し付けても役立つ者を育てた(他藩は一匹狼のような、
自分だけ維新の果実を食う連中が多い)閉口したらしく西郷を見て逃げた。
征韓論に破れると西郷は憮然として帰国する、後を追う後輩の数は夥しく、
軍・警察の後輩が追う。毀誉褒貶があるが、不世出の英雄だったと言える。
今日はこの辺で、又お会いします。
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