「第17回“荘園”の盛衰を探る」
荘園とは公的支配を受けぬ又公的支配を極力制限した一定規模以上の私的所
有経営の土地だ「荘園」はManor(領地)西欧・中欧では領主の邸宅をも指した、
仏ではマンション、英ではアパートメント・ハウスが派生語として使われる、意味深
な言葉、日本ではわが町でもこの名が猫の額見たいな貸家にも使われる、仏の、
ガルデクノン氏や従姉妹の手紙で正確に住宅名称が表現されるが流石だと思う。
脇道にそれた、洋の東西を問わず「荘園」は生まれたが日本は奈良時代はじめ、
朝廷の威光も眼光も威厳あり支配が徹底してたが人口の増加と財政需要の逼迫
で期限付きの開墾制度を図り<三世一身法>を制定したが期限がくると没収される
ので下火になる、時の政府は743年、「墾田永年私財法」を発布した。
この法は墾田永年私有を認める為のものだったので個人資本主義的なものだ。
短期間でも、耕す程自分の物になるのはこの時代ぐらいだろう、お上に報告する
実測にくる訳でなく国司も多忙でかなり杜撰なものだったろう、大らかだった。貧農
には資本を持つ貴族・大寺社、地方豪族が農耕具、生活費を貸与し開墾を奨励し
はじめると大規模土地所有が畿内で広がる。
中央政府から地方に遣わされた国司は下級貴族が多く開発領主として土着。
所領の争いに武力使い家僕を増やし武力で闘争し鎌倉幕府の下地が生まれる
1180年初期の鎌倉幕府は御家人から地頭を任命、朝廷はこの様子に危機感を
抱き潰そうとした1221年、承久の乱が起こすが破れて東国から西に上る御家人
が全国的に武力を持ち逆効果を招き、朝廷の威厳・実力は低下した。
室町時代、民衆が戦乱の中で村落単位の団結を計る、「七人の侍」映画の例
だが農民の結束等織田、徳川、上杉、武田のような強固な武家に敵う筈は無く、
荘園は荒廃し夫々の武将が盛衰を繰り返すうち私的農地は荒れ離散する農民
増え一気に「荘園」は没落し消える運命を迎えることになる。
中世の末期、信長が興隆する、中世的商習慣を破り占領地に1567年“楽市”を
設ける、繁華な土地に税からのがれた商人が群れ農民も火を求める蛾のように
この地に安堵開墾に励む。秀吉は事業後継者となったがその直轄領は二百万石
に過ぎず海外貿易(堺)の税収がものを言う、彼は荘園を消す暴君であり検地に
より全国の土地を精査し農民も縛り完全に中小地主の息の根を止めたのである
豪族の地方割拠は無意味になつたのは「米」を商品に日本国を一市場にした事
で秀吉の頭脳と部下の石田三成の計数能力の手腕によるものが多い。では、又。
| 固定リンク
「趣味」カテゴリの記事
- 「第21回、武士の日記と、家計簿。その暮らしぶりを探るの巻」(2009.04.01)
- 「第20回薩摩の武士の一典型、西郷の死生感に惚れるの巻」(2008.12.30)
- 「第19回、渡来銭の宝庫“日原鐘乳洞”の謎について考察」(2008.09.29)
- 「第18回、酷暑の旅をご披露」(2008.09.03)
- 「第17回“荘園”の盛衰を探る」(2008.06.01)


コメント