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「第14回、札、丁髷、文明開化」

 タイトルが、唐突だが、まず紙幣の話から。外国人と文通すると不審に思われる

 日本の札が昔の肖像画が多いことだ(伊と仏は芸術家、英は女帝、史上の英雄

 そしてギリシャは哲人、学者、神話の女性達と誠に華麗だ)明治30年、政府は、

 閣議で日本武尊、武内宿弥、聖徳太子、藤原鎌足、和気清麿、菅原道真等を

 決めた。戦後、二宮尊徳が加わる。外人に「丁髷とは何なのか」?と聞かれた。

  応仁の乱後、武士が冑を被る時、頭ののぼせを防ぐ為に剃ったから“逆気”

 さかいきが転じて“月代”となった言う説がある。額髪を広く剃り上げ髻(もとどり)

 を前面に向けて曲げたものを丁髷という。青々と剃りあげた部分が月代で前頭

 部がまばらに延びるのは無精と忌み嫌われる時代だった。老いると髪も薄くなり

 老人は結い上げるのは大変だったろう。幕末に武士がかち合うと、頭で藩別が

 可能だった、薩摩はこめかみ辺りから広く剃り上げ、土佐は指二本の月代だ。

 薩・長・土・肥の開国派の中で長州が正統派だつた。司馬遼太郎「竜馬がゆく」

 の竜馬は、浪人なので総髪だ、ながい髪を後で紐で縛る。日本最初の写真師

 上野彦馬、彼は蘭国の化学者から、薬品の調合を学び、多くの写真を撮つた、

 これにより私共は維新の偉人の面影を偲べる。西郷は1枚も撮らない。暗殺を

 避ける為というより嫌いだったのだろう、島流しで流刑先で風土病に罹り、その

 為身動きが、肥満も手伝い悪く、華美な場所は嫌い、狩や釣りと戸外を好んだ。

 竜馬はかなり写真があり桂浜の銅像の基の写真が(懐手で肩聳やかす)が有名

 である。湿版写真は彦馬の働きで次第に長崎から江戸に広まった。

 脱線したが、紙幣に戻る。ジエノバ生まれのE・キョソーネは1875年(明治8年)

 来日、紙幣の鋼銅版手法、デザイン、原版造りに腕を振るう、神功皇后拾円札

 大黒百円札、その他。肖像画で、明治天皇。西郷隆盛を描き、高村光雲の至芸 

 が、上野公園の隆盛像に結実した。

  さて、丁髷も悲運に遭う、明治4年8月9日、太政官布。『散髪制服略服脱刀共

 可為勝手事、但、礼服ノ節ハ帯刀可到事』。願人坊主、牢屋敷の雑役夫以外は、

 髷が自慢の江戸っ子丁髷を切る事になったから、記念の写真撮る者、離婚騒ぎ、

 一揆迄も起こる、明治天皇は明治6年、断髪なされ、皇后様も御歯黒、眉墨を

 率先廃止の範をしめせれ、官員、警官、兵士が次々に洋服姿に変じた。

  政府は「髪税」「髷税」を徴収すると脅し明治22年、断髪が加速したと言う。

 ♪ざんぎり頭を叩いてみたら、文明開化の音がする♪ 来日する外人は、カメラ

 で、横浜、東京の風景を撮り盛んに海外に日本の姿をPRした。今回は明治維新

 の姿を当時のお雇い外国人の働きと人々の驚きを描いてみました。では叉。

 

  

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