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2008年2月

「第9回軍資金、昌幸の話続編」

   「真田昌幸の真骨頂を追う。」

 戦国時代、群雄割拠し、武将達は全国制覇の軍事行動は鉱山の

 争奪から始る、陸奥では砂金が錦裂に包まれ源家再興に寄与し

 た。「石見の大森銀山」の覇権は大内・尼子・毛利氏が熾烈な争い、

 「静岡の富士・安倍金山」 武田対今川、信玄・謙信の永年の確執

 も同じ構図である。信玄は黒川谷をはじめ金山衆を擁し甲州随一

 物持ちと言われた、群雄が軍事に使うのは農民慰撫に銅銭でも

 良いが使い勝手としては鞍に皮袋に入れ運ぶには金、銀が最適、

 円形小型の甲州金が誉高く種類もかなり豊富で小粒も存在する。

  太閤円歩金もあるが、通用銭と言える程の量では無いようだ。

  映画「隠し砦の三悪人」は銀を流し込んだ粗朶を背負って関所を

 抜ける場面があるが「竹流し金」に似る、考証の苦心が窺える。

 古来寡を以って、善く豪を制す譬え①元弘二年(1332)楠正成の

 千早城②永禄三年(1560)桶狭間の信長③真田昌幸を挙げたい。

  特に真田は領民と、子孫の為に巧みに自身を昇華させている。

 昌幸は天文16年、幸隆の三男に生まれた、父に没後、長男の

 信綱が家督を得たが武田の家臣団の先手として「長篠の合戦」で

 信綱、、昌輝が討ち死した為、後を継いだ。沼田城を攻め落として

 信玄に報いるが武田家滅亡後、沼田の地で城の整備をし領民に

 善政を敷き慕われる。読書好きの私「真田太平記」(1)~(3)

 を読んだが感銘受けた。武田家亡き後、天正13年、家康は突如

 八千の兵で襲うが弐千の城兵で撃破する、歴史に翻弄され、秀吉

 に会い臣下の礼を採り家康とも和睦、だが北条氏に沼田城を渡す

 べしと秀吉の命、已む無く名胡桃城に移るがそこも北条の魔の手

 が延びる、北条氏の秀吉の坑命が続き、結局征伐され滅び沼田城

 に帰れた。だが豊家は没落し、真田家の長男信之は家康の養女の

 小松姫を娶る。昌幸は隠遁し、豊家の行く末を案じる。

  徳川が昌幸に会津上杉征伐を命じ征路突如、石田三成が密書を

 寄越し、兵を挙げるので同盟に加わって欲しいと呼びかけてきた。

 次男、信繁が関ヶ原に向う。昌幸は関ヶ原に急ぐ秀忠軍3万数千人

 を手勢2000余の軍勢で阻止、秀忠は合戦に間に合わず、世間の

 笑いものになる、家康の怒り(長男信之の貢献には満足したが)

 親子の抵抗に怒り死罪申し渡す、恭順を続ける昌幸と必死の信之

 の懇願に、九度山に流す、蟄居した昌幸は真田紐の内職を僅かな

 家臣に勧める。司馬遼太郎氏「関ヶ原」「城塞」「豊臣家の人々」

 「新史太閤記」にこの時代が活写される、滅びの歴史は哀しい。

  次男信繁(後年の真田幸村)は関ヶ原で滅びた大谷吉継の娘を

 妻にしていたが、九度山を抜け大阪城に入り活躍する、淀君派の

 無定見に絶望したが夏の陣では家康軍を翻弄し壮絶な死を遂げる

 昌幸は慶長16年(1611年)配所で65歳の反骨の生涯を遂げる、

  世間を憚り、後年、国許に遺髪が戻り父母の墓所長谷寺に墓が

 建立され今日も香華が絶えぬ、代々遺訓を守り善政を敷いた家系

 は長男信之の子孫が守ったと言う。さて戦国軍閥の軍資金・銀は

 、徳川が目を光らせ、太閤の遺産は鋳潰され、人の手程の大判金

 指の長さの小判金、持ち運びに利した丁銀、豆板銀、一分、二分金

 銀、天保通宝、宝永通宝等が誕生し絢爛たる貨幣文化が開花した。

  今日はこの辺で、さようなら。

 

 

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「第8回真田氏と六文銭に想う」

 こんにちは、競り市についてご援助ご後援感謝。貨幣に関し

 て無関心だと思いましたが(90件近く足跡頂戴)伝言中に

 「六文銭」の話題が有り、一文銭につき一寸書いて見ます。

この真田氏の旗印に染め抜いた貨幣は多分渡来銭でしょう。

長野県「上田」が真田氏の故郷なのです。駅前に「六文銭」の

旗印と鹿の角の冑頂く幸村銅像が付近を睥睨してます。

 この地の人々は反骨の真田三代の領主を誇りにしてます。

講談では悲劇の“大阪夏の陣のつわもの”【真田十勇史士】の

血湧き、肉踊る話が載ります、それほど真田家は魅力あり。

昌幸、信綱、信繁(後に幸村名で著名になる)三代武家の話程、

胸打つ挿話は無い!そうそう“真田十勇士”とは、私の記憶では

①猿飛佐助②霧隠才蔵③海野六郎④穴山小助⑤由利鎌之助

⑥根津甚八⑦望月六郎⑧筧十蔵⑨三好青海入道⑩三好伊三

入道。きょうは時間がないので昌幸の事は次回に掘り下げて、

見たい、私の棲家は「植田」、この話題の人は「上田」奇縁と言う

べきですね。おやすみなさい、又。  

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「第7回競り市の話、質疑応答を」

  問、「西洋、中国、日本貨幣の話面白かった、が5回目に店内の品

     の話題が出た、この意味を知りたい」

  答、「百聞、一見に如かず」の譬えあり、私注文品受けで此処まで

     四半世紀営業してきたが、其れだけに(コピーに過去の品物

     記録が残るのみ)次代に美田を残す為外国を含め競り市で、

     入札、落札、コツコツ蔵品持ちました、が古老が「気に入った

     物、溜め始めたら駄目苦労して外国から輸入して巷間に公開

     してこそ、仕事師としての意義ある」との諭しもあり、身辺には

     置かぬ決意以後外国では渡英時「ボールドウイン」「スピンク&サン」

     又香港「ギリオ」又パソコンで「World Coins」カタログ掲載の諸国

     の業者の動きを見て対応してきました。日本も10年前に、

     画期的なGコインさん最近はOネットさん、貨幣商組合傘下の

     店で各オークション数店で開始す、但し外国貨は日本貨より

     語学の障壁があり仔細に見るのは経験が要るようです」

  問、「Gooブログで昨年来書いてきたのは外国体験、貨幣紹介だ

     なぜ、ココログで今回唐突に始めたのですか?」

  答、「良い質問、地方での私の仕事年齢の事もあり間口を広げる

     ことに躊躇した、ココログの約款でこの程度のブログ許可で

     1回行う事にしました、他意は無い、このブログのあしあとの

    方が「日本貨幣カタログ」のフアンで無いかも知れず、Gコイン

    さんの競り市では、全国を網羅し数千万円の珍品が落札あり!

    しかし当ブログは同じ趣味の方々がささやかな交流をされており

    随分苦慮したが、店のスタッフが今朝品物携帯℡で画像を創り

    私の絵も撮り、真面目な競り市の風景を載せてくれた、画像は、

    画素の関係で薄いが、蒐集家は判断出来ます。賽は投げられた

    16日迄、始めてのオークションを愉しみにしてますょ、敬具。

 

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「第6回は銘品競り市お知らせ」

Ts380020 Ts380021 Ts380022 Ts380023 Ts380024 Ts380025 Ts380026  久し振りです。パソコンの修理が終わり戻りました。NECだけ

 の事あり 小気味良い程の対応でした。さて貨幣の歴史を西洋

 の発祥から紐解いてきました。中国、日本の貨幣史を辿り当店の

 在庫品の中から具体的に紹介しましたが 但し 対面商いを永年

 してきた身に取り決算期ですので(ケースの品をこの紙面に出す

 気になったのです)気後れして。私宛 かなりの“足跡”の中でも

 貨幣に就いて関心があり オークション体験者もあるかと思い

 ますので ブログに今回の企画載せてみました。★豆板銀★

 慶長の幣制で 銀の切り遣いを禁止した代りに安政期迄 小型の

 貨幣が鋳造された。麻の実から苺大(若干訂正、碁石様平面で)

 露銀と呼ばれる1g前後の物もあり 丁銀の様に大黒、寶、常是

 、年代印を打つ事が出来ぬ 時代印、大黒、群文等で鑑定する。

 「日本貨幣カタログ」等で学ばれたい。

 ★竜一円銀★

 【表面】一円額面 【裏面】龍図、年号。

 慶応4年、香港の英造幣支局が閉鎖され 機械一式と7人のプロが

 来日 近代貨幣が生まれる端緒となる。加納夏雄は英国の貨幣の

 元首像でなく 中国の君主は竜顔を擬すの意匠を提案 彫金の業

 は英人を驚倒させ それに決まった。江戸以来の彫りの伝統だ。

  ①「貿易銀」M8~10 高額。②「旧一円銀」M3も高価。

  ③「新一円銀」(大型)M7~M12 高額 M13~M20前期

  年号により高価だが中級のコレクター向きも有ります。

  ④「新一円銀」(小型)M20後期~T3 値段 初心向き手頃だ。

  ★旭日竜大型50銭銀 小型もある。20・10・5銭があり

  M3又M4年に出た細かい技術が光る。ただ 5銭タイプになると

  刻印が磨耗し(それ程繊細)後に「五銭」字と旭日のものを鋳造。

  …………………………………………………………………

  ☆「天保小判」極美(柏・東)流通摺れ極少両替印無、18万円  

    ☆「天保丁銀」極美、140g、古色善し、        6万円。

    ☆「アメリカ」1$、“モルガン”1921、頬に1.5ミリ擦れあり   

  準未使用、フィラデルフィア鋳。磨きあるが美麗。   3500円。

  ☆「竜一円銀」明治15年、極美~準未。     16000円。

  ☆「竜一円銀」M25後。M28、30、34年、各美品。 4000円。

  「竜一円銀」M36美品と、T3極美品。 各3000円。

  ☆「旭日竜小型50銭銀」M4、小竜 極美品。   12000円。

  ☆「琉球通宝」(中字)美品、文久3年。       8000円。

以上12点です。(2008.1.23)新聞掲載のU社の広告を参考にして要綱を作りました。   購入ご希望の方は、 はがきに「郵便番号、住所、氏名、年齢、TEL、職業、入札品名、入札額」を書いて 平成20年2月16日迄 〒974いわき市植田郵便局 私書箱20号「ミントマーク」迄お寄せください。最高値落札の方へお知らせします。ご質問等ございましたら 0246-62-5565(FAX番号も同じ)迄 お問い合わせください。営業で他出ありますが対応させていただきます。1回だけブログに載せた縁で品物紹介しました。                   

                          

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「第5回、銘品紹介、続きです」

〇「天保小判」極美品「柏」「東」両替印なし刻印鮮明、磨耗少。

 貨幣、ご説明。昨年3月、デルのパソコン、現今NECの新型と、

 2台目、Goo、ココログ、何万文字書いた、主にライフ・ワーク

 の貨幣の啓蒙と海外渡航記で3桁の方に見て頂き望外の喜びで

 あります、が、デレートキー酷使しすぎ、明日、メーカーに出す。

 貨幣の即売、壱品物、勿論真正品、店内展示中最近競りで入荷品

 、今、パソ宥めつつ御供覧した次第です。

 「貨幣カタログ読めば判るよ」の向きもあるが私も勉強をもう一度

 ケース越しに小判みると心が癒される、売らねば良いべぇ!と言う

 辛い事です、昔、入荷すると、ニヤニヤして秘蔵した。蒐集家なら

 済むが、プロでは駄目、「良いかい、苦心して願望の名品を入手し

 たのを貯め後で出したら心残りだけ注文品では特に、そうだぞ、

 自分の見識傾け自信ある物は説得力違う自分で仕舞うな出せ」と、

 こうして珍・希品25年、みちのくの小粒店、愚直に生きてきた。

 閑話休題、ブログ見て関心あればホヤホヤの競り品壱品ずつです

 お売りします、勿論、真正品。ビギナーの方に解説いれましょう。

 「小判」前稿、大閤大判、書いたがその後慶長、明暦、元禄、享保

 天保、万延大判出た、高額なのでパス、定位金貨とし天保五両判が

 出たが短命「壱両小判」十種、小型「万延小判」(雛小判)続く。

  ルーペで山吹色のくすんだこの小判見ると疲れ吹っ飛ぶのです、

  昨年、珍しく十枚以上の小判、金価格の高騰、バブル再来で過去

 の資産価値の低いもので失敗、目が肥えたか、江戸金銀の売買す。

 新聞でも広告の増加で判る当店でもレクチャーが熱入ったのです。

 「天保小判」を見ましょう、【表面】扇形桐極印、「壱両」下に、

 「光次」刻印(幕府が、後藤宗家に鋳造を請け負わせた、花押)で

 最下部に扇形桐極印。【裏面】右上に〇中に時代を示す“保”字

 刻印、中央に「光次花押」(家康が相伝で認めた後藤宗家の花押)

 左下部小検印、上が座人印(金座の事務方)下が棟梁印(手職人

 が完成後、彼が克明に調べ認印押す)これで市中に出る訳です。

 → 弐字組み合わせが「大吉」「守神」等は縁起良いと珍重された

 この時代物は未使用は無く畳目、刻印の磨耗やスレ少くない物が

 極美品、両替商の検印が(裏面多い)少ないのが評価高い、但し

 正徳迄の残量が少ないものは検印多くても高価、元文小判は量が

 多い(流通期80年余)当然痘痕のように両替商の厄介になる。

 

〇「天保丁銀」140g、極美品、(包み出しの色)、磨耗少。

  細長い、なまこのような銀塊です、昔、庶民は大井川濡れて、又

 雨に遭い粗衣に合羽、巾着に銭入れて道中、ふらふらで旅しました

 その中で銀貨が長旅で生きます、銀を切り遣いする術もある。幕府

 (チョコを切っている姿想像あれ)こうした夥しい小片に困惑して

 慶長の弊制で禁止、秤量貨幣として丁銀、豆板銀(目方も不揃い)

 が大量に出た、円形で擦れ合っても良く麻の実、苺大の物迄ある。

  豆板銀解説は後日。丁銀は12面大黒が高価です、当店の丁銀

 は両端に「保」字が打たれ。左右に「寶」「常是」「大黒」模様が

 計六個、縁際なので半分以下の模様だが打たれている。両端の保字

 極美品は保字の中の筋がくっきり見える、錆、両替印無し、品格

 も良い、当時大手の両替商は和紙に包み(一例25両)屋号、量目

 額面、封印、割印、中身見ず両替商の信用だけで商売したとか。

  包み出しの色は綺麗である、「太政官貨幣局」の官封物は明治後

 高額である、今日も「日銀」の官封物は良いといわれる。

  

〇「琉球通寶」(中字) 文久3年、美品、古色よし。

 薩摩藩は琉球救済の名目で、幕府に天保通寶型の銅貨の鋳造を請願

 薩・長・土・肥の台頭に悩み、圧力に屈し許可。薩摩は大字、中字

 小字の3種製造した維新の軍資金になる、この当店の物は古色良く 

 稚拙な鋳型だが、幕府ものに無い味わいがある。

〇「アメリカ、【モルガン】1ドル銀貨。1921年、準未使用。 

 拙著「世界クラウン貨銘鑑」“これだ200種”203P掲載あり

 過去に於いてUSの貨幣の図案がラテンアメリカの手本、英国が

 欧州気品貨の象徴。ミントマーク無しはフィラデルフィァで製造、

 表面、自由の女神、裏面、羽根を広げた白頭鷲。

 銘文は「IN GOD WE TRUST」神に信任する。デザインは

J・モルガン、此の為、“モルガン”と呼ぶ。

 ビギナー向きの物、ミントにより高額あり。顔に製造時の髪の毛の

 摺れあり、磨きあるが、良いUS貨の入門貨でしょう。

 1、いわき市JR植田駅前の店老年になり、移り自宅で営業中、

   電話帳にささやかながら載る、組合は離れたが今日でも

   福島の泉界の向上に微力尽してる、冷かしで無ければ、

   今回の品、HPで(インターネットで販売してる店多いが)。

   2、ささやかな品々、興味あれば、近い方は御覧請う。

   方法は、パソコン直り次第、詳しく。今日の解説で「小判」の

   良さが判れば「丁銀」の話共に、望外の喜びです、敬具。

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「第4回、机上の名品紹介です」

  第3回稿、“行”がうまく入ったと思ったら、壱字はみ出した。

 口惜しいので、今日再挑戦したい、ツタンカーメン当時から金は

 権力のシンボル、アテネ考古学博物館「笑う黄金マスク」を見て

 衝撃を受けた、日本の能面のよう儀式で使用したと思われるが、

 インカの発掘面に通じる謎のスマイルだ。地方でビギナー啓蒙、

 顧客さんの注文受けで、四半世紀大過無く遣って来た。公務員の

 経験から地味だが「古武士の商法」で来た、あまり儲からぬが?。

 公序良俗に反し、途中で消えた同業居る【一例】紙幣の裏に瑕が

 あったとしょう、黒台紙に格納すれば見えぬ、上京した初期に古参

 の神田のベテランから、入れた物、気が付いた、即、返品図るが、

 言を左右する。彼の筆跡だし最後は返品したが、対面販売の際は

 その場で開き「取引が成立」のルール叩き込まれた。生き馬の眼

 を抜く修羅場でボサットしてたらいかんと、その後の競りで学んだ。

  もし私の店でそうした物を収め、何年か過ぎて判明の際は顧客

  さんはクレーム我慢するが、リピーターとして絶対来ない筈だ。

 昨年“偽”で揺れた、過去の例で倒れた例を知りながら再演する。

  ジョンソン&ジョンソンが廉価の品の瑕で回収で大損した、が、

 世間は潔い対応に喝采し今堂々のメーカーだ、松下もストーブで、

 損を承知で、敬服してる、昔火事で焼け再建し味落ち辞めた方居た。

  3大新聞に「大判・小判」「財務省放出金貨」の広告が再々載る。

 過去に小判の記事は正月の催事で出る位だ。金貨が威勢良いのか

 再バブルで貨幣の持つ普遍性が泡沫のような資産形成の愚を悟った

 例か、同慶にたえない。私は注文専一でデッドストックを置かぬ地方の

 小店、だから東京の壱千万人都市と違う遣り方で顧客さん接します。

  子供さんの成長話から占いじみた話題、親戚付き合いで来る。

 コレクターは独身の方が小回りが利き、催事でも出かけ易いようだ。

〇「天保小判」極美品、「柏」「東」、両替印なし、刻印彫り、磨耗少。

〇「天保丁銀」140g、極美品、(包み出しの色)古色良し。

〇「USモルガン1$」鋳造時のカスリ傷顔面、準未、1921年、磨きあり。

〇「琉球通寶」(中字)文久3年、美品、古色あり。

 前回は西洋貨の発達、中国貨、昔の庶民の貨幣の扱いを書いた。

 今回はオークションで入手した4点を机上で微細に説明。(このブログ

 は、商いの話題も当方の氏、素性を公表すれば許されると聞き、PR

をしたい)時間が無いので、近日「貨幣カタログ」面を掘り下げて説明

したいので、お暇の方はお聞きくだされば幸甚。なお、上記の貨幣は

最近、オークションで入手したものです。では、又。

   

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貨幣代用物、未来続々と誕生?

  第2回目、文字の桁の読み違いで見苦しい文をご覧に入れた。年

ばかり重ねて(Goonoブログの体裁に慣れ)ココログの左右の記事の

巾読むと、本文が30字位で無いと、字が次行に飛び見苦しいのです。

 今回は綺麗に書きたい。前項でトルコで西洋貨が生まれたと書いた、

 古代中国貨幣史は興趣に富む、突き詰める程奥が深い。

 公務員から貨幣研究の道に入り、いわきで営業して26年、光陰矢の

如しである。未だ道遠しだ、貨幣商組合の「日本貨幣カタログ」は聖書

のようなもので、無いと不安であり、これがあれば売買は、ガラス張りで

その点、明確である。

 南洋で円形の大きい石の中央の穴に棒を通し結納?に運ぶ半裸の

男達の姿がTVに映る、制作にどれ程の期間がかかるか知らぬが悠久

の時間が費やされて、詩情が窺える。今時、流通せぬだろうが貝殻の

首飾りも価値が高いらしい。「中国貨幣」のページをカタログで見よう。

 狩猟時代は貝、野獣の皮革が用いられ、農耕が定着すると、岩塩

、糸、穀類、布、家畜が市場で交換された。徳川時代“石高”と呼ぶ

諸藩の財政は米が中心で大阪の蔵屋敷群が各藩の出先機関だ。

 東北は冷害だと大変だ、特産物の木蝋、紅花、織物に精出した。

 さて、中国は子安貝(女性の具象)が貨幣。よく「原始、女性は太陽」

と言うが、生命の源泉として、昔から崇められた。「貝」字の変遷では、

分けられ過ぎると「貧」、人に侑(すすめる)と「賄」になる、又貝を贈物

にする意味「加」を加えると「賀」になる。貝は→貨に通じる。

 海に遠い地方では子安貝が無い為、亀、動物牙、骨、金属で 製造

した貝貨がある。「蟻鼻銭」と言う可愛い「蟻の顔」貨もあり微笑ましい

 剣、魚、を擬し刀幣、魚幣。本来「銭」とは、鍬(すき)を指し農具を摸

した型の「布幣」が種類で一番多い。

 始皇帝、西暦前221年、中国を統一したが「度量衡」を研鑽、真円形で

交易にも利便な銅貨に四角の孔、価格を表示した「半両銭」を考案した。

以後唐時代に飛ぶが、高祖、武徳四年(621年)「開元通寶」は衝撃が

日本に伝わり元明天皇の和銅元年、「和銅通宝」となって日本史の黎明

期を迎えた。「匁」は「開元通宝」一枚の重量「一文目」から由来、一例で

足袋の大きさ、00文とは、直径24mmの通宝を並べた長さから来た物

で度量衡の好例である。

 庶民に回るほど「皇朝十二銭」無く脆く金属精錬の術も劣悪民衆は物々

交換したり、民間貿易の渡来銭を珍重した。

 徳川幕府は鎖国すると、国の威信を賭け全国通用の金銀銅貨を造幣。

藩札の最初は、越後福井藩、家康の次男、結城秀康の領地であるが、

その子忠直の乱行で改易、親藩なので、減封され,寛文元年、財政難で

幕府に請願「藩札」を造った。以後各藩が名乗りあげた。隠れて密かに、

私札(塩、炭、酒、砂糖)等特産品の商品券で乱発。

 銀使いの多い中国筋は「藩札」がオカネであり、伊勢参りで、幕府の金

銀、銅(天保通宝、宝永通宝、寛永通宝等)の正貨を見て驚いたと言う。

 戦時中、常磐炭鉱の炭鉱住宅(映画“フラガール”の舞台)で伯父が遊び

に行くと坑内で使う金券で私に店で菓子買えと云われ吃驚した。味噌、米等

米軍の酒保と同じの「トークン」と同じ。最近、豪州の貨幣をブログに書いた

が特別地域「キーリング諸島」で象牙色の樹脂代用貨がある。又貿易決済

「貿易銀」があるがその国の威信がかかるのだ(米、英、日、仏中国有り。)

 外国では電話機の被害を防ぐのに電話貨がある。溝が切られ伊製では、

「テレホニカ」と読めた。小名浜国際港の近くの知人が自販機で、外国貨の

被害があると聞き訪ねた。日本の500円程の低額貨がゴッソリ入ると言う。

各国語で、注意書きがあるが、かえって、逆効果の気がした。

 その後平成12年まで「旧500円使えません」の張り紙見たでしょう?。

 これから、€貨、円、$貨、ルーブル貨が続々機軸通貨の名乗りあげる。

 世界はカードや電子マネー、目まぐるしく変化するだろう。では、この辺で。

 

 

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